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◆歩いてわかる中央区ものしり百科「区民史跡」を理解する



※【 】は問題になりそうなキーワード



◆◆長崎屋跡(日本橋室町4-4-10)
→商館長一行を訪問してオランダの学問を習得

江戸時代、唯一貿易を許された【オランダの商館長】は、年1階、献上品を携(たずさ)えて江戸に参府し、将軍に拝謁することを通例とした
→商館長一行は江戸に2-3週間滞在し、その際に宿所に指定されたのが【長崎屋】
→【長崎屋】には、【杉田玄白】・【平賀源内】・【青木昆陽(こんよう)】・【大槻玄沢(げんたく)】などが訪れた
→当時の【長崎屋】は西洋文明に触れられる江戸で唯一の窓口だった。


◆◆佃島渡船場跡(佃1-11-4・湊3-18)
→佃島と対岸を300年結んだ交通機関

正保元年(1644)、【摂津国西成群佃村(現在の大阪市西淀川区)】から江戸入りした漁民が【佃島】を築造
→正保2年(1645)、【佃島】と対岸の【船松町(現在の佃大橋西詰付近)】を結ぶ、渡船が始まる
→明治9年(1876)、【東京府知事】から許可を得た【渡船賃銭】の掲示板に【渡し賃1人5厘・2人持の荷物1個1銭】と記された
→渡し賃が【ひとり5厘】だったことから【5厘の渡し】とも呼ばれた
→昭和2年(1927)、【東京市】は【手漕ぎ渡船】を廃止し、【無料の曳船渡船】を開始し、【佃一丁目】と【湊三丁目】に石碑を建立
→昭和39年(1964)、【隅田川】流域では最後まで残った【渡船】だったが、【佃大橋】の完成に伴い、【300年】の歴史に幕を閉じた
佃島渡船場跡
佃島渡船場跡



◆◆江戸秤(はかり)座跡(日本橋3-7-20 ディックビル)
→秤のおもりとさおの規格を統一した組織

【秤座】は、【秤のおもりとさお】の規格を統一する目的でつくられた組織で、【江戸】と【京都】の二座あった
→【江戸の秤座】は【守随家】が代々受け継いだ
→【守随家】は、【甲斐・武田氏】の治下で、【秤の製造・販売】の独占権を許された
→武田氏滅亡後、【二代目信義】は江戸に出て、【徳川家康】に仕え、【幕府公認の秤商】になる
→明治8年(1875)に【秤座】が解体されるまで、【東国33か国】は【守随家】、【西国33か国】は【神家】に分けて権利を独占させた
→【江戸秤座】は移転を繰り返すが、天保13年(1842)からは当地に住居を構え、そのまま明治維新を迎えた


◆◆霊岩島検潮所・量水標跡(新川2-32-1先)
→標高の標準となる平均潮位を測定

明治初期、【利根川・隅田川・荒川】といった主要河川に【量水標】を設け、そこで得た【平均水位】を【基準面】として使用
→明治6年(1873)、東京近郊で【標高】を求める際は、【隅田川河口】に設置された【霊岩島検潮所】で観測された【東京湾】の【平均潮位】を基準とした
→明治24年(1891)、【千代田区永田町】に創設された【日本水準原点】の標高は、【霊岩島検潮所】の【平均潮位】を基準に決定された
→平成6年(1994)、【隅田川テラス】の護岩工事に伴い、【約36m下流】に移設された
→元の場所には【シンボル柱】が設置されている
霊岩島検潮所・量水標跡
霊岩島検潮所・量水標跡


◆◆海水館跡(佃3-11-19先)
→明治・大正の文人が集った割烹旅館

明治38年(1905)開業の【割烹旅館】が【海水館】
→建物は【宮城県仙台市】から移築され、【木造2階建て】、【部屋数は24】
→文化人である【島崎藤村】・【小山内薫】・【木下杢太郎】・【三木露風】・【吉井勇】・【久保田万太郎】・【竹久夢二】・【日夏耿之介】らが滞在した
→【島崎藤村】は【春】、【小山内薫】は【大川端(ばた)】をここで執筆
→【吉井勇】の歌集【毒うつぎ】には【冬の梅 見ればかなしや 新佃 海水館は わび住みにして】の一首が掲載されている




 
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