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◆歩いてわかる中央区ものしり百科「国指定重要文化財」を理解する



※【 】は問題になりそうなキーワード


◆◆日本銀行本店本館(日本橋本石町2-1-1)
→金貨鋳造所の跡地に建つ重要文化財

明治15年(1882)に【日本銀行条例】が公布
→明治15年(1882)10月、【北海道開拓使東京出張所(開拓史物産売捌所)】の建物を使用して、【日本銀行】がわが国の【中央銀行】としての業務を開始
→【北海道開拓使東京出張所(開拓史物産売捌所)】の設計は、外国人建築家【ジョサイア・コンドル】が担当
→明治29年(1896)に【ジョサイア・コンドル】に師事した辰野金吾が、移転先の今の場所に竣工
→石積みレンガ造による地上3階・地下1階建て
→デザイン様式は、柱やドームは【バロック様式】、窓を規則正しく並べる【ルネッサンス様式】=【ネオ・バロック建築】
→ベルギーの中央銀行をモデルとしたといわれる
→大正12年(1923)9月1日、【関東大震災】で館内の【約半分】を焼失
→大正15年・昭和元年(1926)、修理
→昭和49年(1974)、国指定重要文化財に指定
→上空から見ると”【円】”の形
→江戸時代の【金座(金貨鋳造所)】の跡地に建てられている
日本銀行本店本館
日本銀行本店本館



◆◆三井本館(日本橋室町2-1-1)
→外壁を囲む円柱などデザインが光る

昭和4年(1929)、三井主要各社入るオフィスビルとして竣工
→建築家【横河民輔】が設計した【旧三井本館(明治35年竣工)】が関東大震災で焼失したため
→地上7階・地下2階の鉄骨鉄筋コンクリート造
→関東大震災の2倍の地震に耐えられる
→特徴として、
①【コリント式オーダー列柱】を外壁に取り付ける、
②内部1階の【ドリス式円柱群と吹き抜けの大空間】
→地階に、【米国モスラー社製の大金庫】=【直径2.5m・重さ約50トン】の【円形扉】
→平成10年(1998)、国指定重要文化財に指定
三井本館
三井本館



◆◆日本橋(日本橋一丁目~日本橋室町一丁目)
→架橋100年を迎えた石造2連のアーチ橋

慶長8年(1603)、初めて架けられた橋
→慶長9年(1604)、【五街道(東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中)の起点
→明治から、日本橋の中央が【国道の起点】と定められる
→明治44年(1911)、【東京市道路元標】が建てられ、その後、【橋詰広場(日本橋室町寄り)に移転】
→現在、日本橋中央には【日本国道路元標のプレート】があり、【元標の広場】でそのレプリカを見れる
→昭和11年(1936)、【日本橋区】が【日本橋由来記の碑】を【花の広場】(=江戸時代の【高札場】があった【南詰西側】)に設置
→明治44年(1911)、現在の橋が石造2連のアーチ橋として完成
→装飾(【麒麟と獅子のブロンズ彫刻】)は建築家【妻木頼黄(よりなか)】
→【麒麟像(橋の中央の橋灯にある)】は完成当時の【東京市の繁栄】を表現、【獅子像(橋の四隅)】は【守護】を示している
→平成23年(2011)、日本橋架橋100周年記念イベントを開催



◆◆永代橋(新川一丁目~江東区佐賀・永代一丁目)
→重厚でたくましい鋼アーチ橋

元禄11年(1698)、五代将軍徳川綱吉の50歳を祝して最初の橋が架けられ、現在の位置より150m上流にあった
→当時は木造橋で、納涼の名所
→文化4年(1807)、橋が崩れ落ちる事故発生し、その後【本普請】
→明治30年(1897)、現在の場所に【鉄橋】ができる
→道路橋としては日本初の【鋼鉄製のトラス橋】
→明治37年(1904)、路面電車が敷設
→大正15年(1926)、震災復興事業の一環で架け替えられ、【男性的】と形容される
→平成19年(2007)、【新たな鋼材を使うことで最大支間を実現した鋼アーチ橋】などの評価により、国指定重要文化財に指定
永代橋
永代橋



◆◆清洲橋(日本橋中州~江東区清澄一丁目)
→優美な形状はライン川の吊橋がモデル

昭和3年(1928)、永代橋とともに震災復興事業と計画され、竣工
→デザインはドイツのケルンにある【ライン川の吊橋】をモデルにしている
→男性的な【永代橋】に対し、【女性的】と形容される
→【清洲】という名称は、建設当時の両岸にあった【深川区清澄町】と【日本橋区中州町】を結ぶことから
→平成19年(2007)6月、【当時の最先端技術による昭和初期を代表する吊橋】などの評価により、国指定重要文化財に指定
清洲橋
清洲橋



◆◆勝鬨橋(築地六丁目~勝どき一丁目)
→技術を駆使して建造された東洋一の可動橋

明治38年(1905)、京橋区の有志が築地と月島を結ぶ船の渡船場を設置
→名称の【勝鬨の渡し】は、【日露戦争の旅順陥落】を記念
→昭和15年(1940)、竣工
→【全長約246m・幅員約26mの双葉跳開橋】で、【東洋一の可動橋】と呼ばれた
→当初は【1日5回跳開】した
→【かちどき橋の資料館】(築地市場勝どき門横)は、勝鬨橋をはじめ隅田川の橋に関する資料館、近くに、【かちどきのわたしの石碑】がある
→平成19年(2007)6月、【国内最大の可動支間を有する技術的完成度の高い構造物】などの評価により、国指定重要文化財に指定
勝鬨橋
勝鬨橋



◆◆高島屋日本橋店(日本橋2-4-1)
→百貨店建築として初の重要文化財

天保2年(1831)、初代飯田新七が【京都で古着や木綿を取り扱うたかしまや】を創業
→昭和8年(1933)、東京日本橋に地下2階・地上8階建ての店舗を新築、設計は【高橋貞太郎】
→全館【冷暖房】を完備し、【東京で暑いところ、高島屋を出たところ】の宣伝コピーが有名
→昭和27-40年(1952-65)、【村野東吾】により増築
→平成29年(2009)、【全体が一体不可分の建築作品として完成度が高く、わが国の百貨店建築を代表するものの一つとして重要】と評価され、国指定重要文化財に指定(指定名称:【高島屋東京店】)



◆◆築地本願寺(築地3-15-1)
→アートな魅力が詰まった「日本のお寺らしくない」お寺

延宝7年(1679)、築地の地に御堂が落成
→当初の坊舎は浅草近くの【横山町付近】にあった
→【関東大震災後の区画整理】により、大きな敷地が半減
→昭和9年(1934)、【伊藤忠太】の設計により、【古代インド様式の石造建造物】として再建
→本堂内は【桃山様式】を取り入れ、【パイプオルガンや様々な動物の彫刻】が特徴
→本尊は【阿弥陀如来立像】
→平成26年(2006)、【本堂・門柱(正門・北門・南門)・石塀】が、国指定重要文化財に指定



 

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