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◆歩いてわかる中央区ものしり百科「旧町名の由来」を理解する



※【 】は問題になりそうなキーワード



昭和40年から昭和62年までの【15次】にわたる【住居表示】の実施により姿を消した【町名】を、その由来と合わせて紹介する。



【日本橋・京橋エリア】


◆◆通(現在の日本橋1~3丁目)
→日本橋を起点とする【東海道】によって貫かれた町で、町名は【日本橋南の本通り】にあたることから付けられた

◆◆江戸橋(現在の日本橋13丁目)
→【日本橋川】に架かる【江戸橋】に由来する

◆◆宝町(現在の京橋13丁目)
→昭和6年(1931)、【中沢彦吉】の発案により、【めでたい名】を選んで付けられた
→【中沢彦吉】は明治期の【実業家】であり、【衆議院議員】に当選し、同時に【東京市会議員】になった



【銀座エリア】


◆◆銀座西(現在の銀座
1~8丁目
→銀座1~4丁目は、明治2年(1869)に【新両替町】・【与作屋敷の一部】・【三十間堀の一部】を銀座とした
→その後、昭和5年(1930)に【尾張町ほか9町】を【銀座5~8丁目】でとした際、その【西側】に位置する【南紺屋町ほか15町】を【銀座西】とした


◆◆銀座東(現在の銀座1~8丁目
→銀座の【東側】に位置する【木挽町】と【銀座】との間にあった【三十間堀川】が埋め立てられて地続きになること、【銀座】の西側に【銀座西】があったこと、に対応して地元住民の希望が実を結んでできた町名



【築地・明石エリア】

◆◆小田原町(現在の築地6~7丁目)

→江戸城増築の時、【相模国(現在の神奈川県)小田原】から、【善右衛門】という石工が来て、この河岸を【石揚場】としたのにちなんで町名になったという説や、【小田原の魚商】が、この地を開いたためという説がある


◆西八丁堀(現在の八丁堀1~4丁目)
→昭和6年(1931)、【本八丁堀ほか7町】を合併して【八丁堀】としたのに対し、その【西側】にあった【松屋町】・【高代町】・【岡崎町】・【本八丁堀の一部】を合併してできた町名


◆霊岩島(現在の新川1~2丁目)
→寛永元年(1624)、【霊岩雄誉(ゆうよ)聖人】が【八丁堀東側】の沼地を埋め立てて、【霊厳寺】を建立したことによる


◆越前堀(現在の新川1~2丁目)
→【越前国(現在の福井県)】福井藩主【松平家】の邸地のあった所で、これを囲む堀を【越前堀】と称したことから、明治5年(1872)に町名とした


◆新富町(現在の新富1~2丁目)
→【新富町】は、明治4年(1871)、【西側】にあった【大富町】に対してつけられた説と、【新島原】の【新】と【大富町】の【富】とを合わせてできたという説がある。
→【住居表示】の実施により、【町】の字がなくなった


◆入船町(現在の入船1~3丁目)
→町の【西側】に【入船川】があったことに由来する。
→【住居表示】の実施により、【町】の字がなくなった


◆湊町(現在の湊1~3丁目)
→江戸時代、【商船】が【隅田川】から上り、ここに荷を揚げたり、【はしけ】に荷を積み替える場所であったことに由来する。
→【住居表示】の実施により、【町】の字がなくなった



【人形町・東日本橋エリア】


◆浪花町(現在の日本橋富沢町・日本橋人形町2丁目)
→町名は【謡曲】の【難波】に由来する。
→明治4年(1871)に【難波町】と【難波町裏河岸】を合併して【難波町】と改称した


◆芳町(現在の日本橋人形町1・3丁目)
→町名は江戸時代の初め頃まで【葭(よし)】などが群生していたところであったことに由来する


◆北新堀町(現在の日本橋箱崎町)
→【新堀川】の【北側】に沿った町に由来する。


◆村松町(現在の東日本橋1丁目)
→名主の【村松源六】が起こした地で、その姓に由来する。


◆若松町(現在の東日本橋1丁目)
→【村松町】から分かれたことに由来する。


◆矢ノ倉町(現在の東日本橋1丁目)
→昔、【矢之倉】と称された幕府の【米蔵】が建ち並んでいたことに由来するという説がある。


◆両国(現在の東日本橋2丁目)
→【武蔵】・【下総】の両国を結ぶ【両国橋】に由来する


◆橘町(現在の東日本橋3丁目)
→江戸時代初期に【京都西本願寺の別院】があり、その頃、門前に【立花】を売る家が多く、【立花町】としたが、後に【橘町】に改める


◆薬研堀町(現在の東日本橋2丁目)
→【薬研(薬種を細かく砕く船形の器具)】に似た【堀】があったことから、【薬研堀】という町名になったという説がある


◆米沢町(現在の東日本橋1丁目)
→江戸幕府の【米蔵】の跡地であることから名付けられた



【佃・月島・晴海エリア】


◆佃島(現在の佃1丁目)
→【佃島】は【摂津国西成群佃村(現在の大阪市西淀川区)】の名主【森孫右衛門】に従って江戸に下った漁師たちが築いた島であることから【佃島】と称した
→【住居表示】の実施により、【町】の字がなくなった


◆新佃島西町・新佃島東町(現在の佃2~3丁目)
→【新佃島西町と新佃島東町】は【佃島】の【東方】を埋め立ててできた地域で、現在の【清澄通り】を挟んで【西側】を【新佃島西町】、【東側】を【新佃島東町】とした
→【住居表示】の実施により、【町】の字がなくなった


◆月島通(現在の月島・勝どき地域
→【月島】は、明治以降の埋め立てによってできた地域
→町名は東京湾内に【観月】の名所があったことに由来するともいわれ、当時の【東京市参事会】の決議により命名された
→町名については、埋め立てが完了したところから、【月島通】を中心に【月島西仲通】・【月島西河岸通】・【月島東仲通】・【月島東河岸通】と【布令】により付けられた


◆晴海通(現在の晴海1~5丁目
→【晴海】は、昭和12年(1937)7月に【晴海町1~6丁目】ができた
→町名は当時の【京橋区議会】で【いつも晴れた海を望む】という希望から決定された
→【住居表示】の実施により、【町】の字がなくなった
現在の晴海5丁目
現在の晴海5丁目



 

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