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◆歩いてわかる中央区ものしり百科「区民有形民俗文化財」を理解する



※【 】は問題になりそうなキーワード



◆◆鉄砲洲稲荷神社の富士塚と力石(湊1-6-7)
→区内に現存する唯一の富士塚

寛政2年(1790)、【富士講(富士信仰者による講)】によって造られた【富士塚】が造られた
→【富士山】から【溶岩または溶岩片】を取り寄せて【約18mの高さ】まで積み上げたもの
→旧暦6月1日の【山開きの日】には多くの参拝者が訪れた
→現在の【富士塚】は、全体がコンクリートで補強された【溶岩または溶岩片】に覆われ、高さは【約5.4m】
→この中に、【富士講(富士信仰者による講)】に関する碑が【30基】埋め込まれている
→昭和20年(1945)頃に、【文理大学(現筑波大学)の教授】が発見した、【社殿と社務所】の間に置かれた【2つの力石】も【区民有形民俗文化財】に登録されている



◆◆波除稲荷神社の天水鉢・獅子頭(築地6-20-37)
→舟の無事を祈願して奉納された天水鉢

万治年間(1658-1661)、波浪により【築地一体の埋め立て工事】は困難を極めたが、海中から得た【稲荷明神の像】を祀(まつ)ったところ、波浪がおさまったいう【故事】から創建されたのが【波除稲荷神社】
→江戸時代、現在の東京都中央卸売市場築地市場の【南半分】には【尾張徳川家の蔵屋敷】があり、【米殻や尾張の特産品】などが定期的に運び込まれていた
→天保9年(1838)、船の積荷の陸揚げ作業に従事する人夫(にんぷ)たちが【尾張藩船】の無事を祈願して、【天水鉢】は奉納された
→波除稲荷神社の祭りは、江戸時代から【獅子祭】として有名で、町内や大店ごとの【獅子頭】が町を練り歩いた
→雄獅子の頭部には【角】、雌獅子の頭部には【擬宝珠】がつけられている
波除稲荷神社
波除稲荷神社


◆◆銀座出世地蔵尊(銀座4-6 三越銀座店屋上)
→三越銀座店の屋上に安置される地蔵尊

明治から昭和初期にかけて、【銀座出世地蔵尊】の縁日は多くの人出で賑わった
→文久元年(1861)、【三十間堀一丁目】先の地中から地蔵が掘り出され【世に出た】ため、【出世地蔵】と言われる
→本体の傷みが激しいため、現在は【三越銀座店屋上の六角堂】内に安置されている
→毎年10月には【銀座八丁神社めぐり】が行われ、大勢の人がこの【地蔵尊】に詣でる



◆◆佃波除稲荷神社の力石(佃1-8-4)
→力自慢が持ち上げた安山岩の力石

【佃地区】の漁師たちは、関東大震災の頃まで【石を持ち上げて力競べ】をする習慣があった
→【佃波除稲荷神社】には、入り口の鳥居脇に【3個の力石】が並んでいる
→材質はいずれも【安山岩】で、【さし石】と刻銘され、これは持ち上げられることを【さす】あるいは【あげる】と呼んだことに由来する


◆◆御岩稲荷田宮神社の鳥居・百度石(新川2-25-11)
→お岩役の俳優が奉納した区内最古の百度石

明治12年(1879)に創建された【御岩稲荷田宮神社】は、【四代目鶴屋南北の戯曲:東海道四谷怪談】の主人公・【お岩】の伝承を持つ神社
→明治30年(1897)、本殿横にある【石鳥居】は【白狐社】の社前に建てられたもの
→【白狐社】は鳥居正面奥の右手に移され、現在その位置には【百度石】が置かれている
→大正3年(1914)、【大阪浪花座】で【お岩】を演じた【四代目市川右団次】が【百度石】を奉納し、区内で最も古いもの
→【全高127cmの花崗岩製】で、台座の上には【田宮家】の家紋である【陰陽勾玉巴(まがたまどもえ)の丸石】が置かれている
→本体の正面には【花形の枠と宝珠】、そして【百度石】の文字が刻まれている



◆◆森孫右衛門供養塔(築地3-15-1 築地本願寺)
→佃島の由緒を物語る供養塔

【森孫右衛門】は、徳川家康の入府に伴って、【摂津国西成群佃村(現在の大阪市西淀川区)】から江戸を出て、将軍への【白魚献上の御用】を務めていた
→隅田川の河口に【佃島】を築き、【日本橋魚河岸】のもととなる店を開く
→文久元年(1861)、【森孫右衛門】の【二百年遠忌(おんき)】に【供養塔】が建立された
→塔の左側から裏面にかけては【佃島の漁師と徳川家康の関りや、佃島の成り立ち】などが刻まれている
→【築地本願寺の境内】には、江戸時代後期の画家【酒井抱一】、シーボルトに治療法を学んだ江戸後期の眼科医【土生玄碩(はぶげんせき)】の墓や、赤穂浪士の一人【間新六(はざましんろく)】の供養塔もある
森孫右衛門供養塔
森孫右衛門供養塔



 
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