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◆歩いてわかる中央区ものしり百科「都指定文化財」を理解する



※【 】は問題になりそうなキーワード



◆◆銅鐘 石町時の鐘(日本橋小伝馬町5-2)
→江戸市中の人々に時刻を報せる時鐘

江戸城下の人々に時刻を知らせていた鐘
→二代将軍徳川秀忠の時代に本石町(現在の日本橋室町四丁目付近)に設置されていた
→近くに【長崎屋】があったため、【石町の鐘はオランダまで聞こえ】と川柳も詠まれている
→現存する鐘は、【高さ約170cm・口径約93cm】で、宝永8年(1711)鋳造
→時の鐘は【明治初期】に廃止
→今の鐘は桑原七兵衛が油問屋・大阪屋孫八の庭の築山で発見
→現在、昭和8年(1933)に【十思(じっし)公園に建てらえた鐘楼】に設置されている
石町時の鐘
石町時の鐘



◆◆伝馬町牢屋敷跡(日本橋小伝馬町3-4-5)
→土手と堀で囲まれた幕府最大規模の牢屋

牢屋敷は、常盤橋門外に置かれたのが最初
→慶長年間(1596-1615)に、現在の日本橋小伝馬町内にある【十思公園・十思スクエア(旧十思小学校)・大安楽寺・身延別院】などを含む地域に移されたとされる
→江戸町奉行の支配下となり、【囚獄(しゅうごく)】が小伝馬町の牢屋を管理し、俗に【牢屋奉行と呼ばれた石出帯刀(いしでたてわき)】と呼ばれた
→【石出氏】は世襲で配下には【牢屋同心や牢屋下男】などの役人がいた
→伝馬町牢屋敷は、【面積が2600坪】を超える幕府最大規模の牢屋
→定員数は【350-700人】であったと伝わる
→【寺社・町・勘定の各奉行】と【火附盗賊改(ひつけとうぞくあらため)】が管轄する囚人が収容された
→牢は【性別・身分・罪種】などによって区分された
→明治8年(1875)、【市ヶ谷囚獄の完成】により廃止



◆◆三浦按針遺跡(日本橋室町1-10-8)
→家康の厚遇により日本名を得た英国人

慶長5年(1600)年、英国人ウィリアム・アダムス(=オランダ印度会社の航海士)は、暴風のため、豊後国(現在の大分県)に漂着
→後に、徳川家康に招かれて、外交顧問に就き、日英貿易に貢献
→日本人と結婚し、三浦按針という日本名を得る
→彼の江戸屋敷の周辺は昭和初期まで【按針町】と呼ばれる
→昭和5年に屋敷跡は、東京府史跡に指定され、地元有志で記念碑を建設
→戦災で破壊され、昭和26年(1951)に現在の記念碑を再建



◆◆名水白木屋の井戸(日本橋1-6)
→将軍家や諸大名にも献上した湧き水

正徳元年(1711)、呉服商を営んでいた【白木屋二代目当主:大村彦太郎】が私財を投じて、井戸堀りに着手
→翌年(1712)、将軍家や諸大名に献上するほどの【清水】が湧き出す
→【白木名水】と評判になる
→その後名水は焼失したが、東京都指定文化財(旧跡)として、【COREDO日本橋アネックス広場】に石碑がある
名水白木屋の井戸
名水白木屋の井戸



◆◆一石橋迷子しらせ石標(八重洲1-11先)
→迷子探しの情報を集める掲示板として活用

安政4年(1857)、日本橋河岸町の町人たちが資金を出し合い、三越日本橋本店の裏手、外堀の水が日本橋に合流する場所に架かる、一石橋のたもと残る石標を建てる
→石標の正面には【まよひ子のしるべ】と記されている
→【年頃・面体・恰好・履物・衣類などの特長の紙】を左側の側面【たづぬる方】に貼り、【迷子の所在に関する情報を書いた紙】は【志らする方】と刻まれた右の側面に貼る
一石橋迷子しらせ石標
一石橋迷子しらせ石標




 
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